明治維新以降と江戸時代以前の家屋では何処が違うと思う? 僕が思うに窓ガラスの存在だ。 江戸時代以前の日本とヨーロッパ諸国の部屋でなにが違うと思う? やはり窓ガラスの存在だ。 ちょっと窓ガラスについて考えてみるとしよう(続)
それではまず何の為に窓が存在するか? 通風の為、採光の為、ロミオと愛を語らう為など理由は幾つかある。 ラプンツェルの様に彼氏を一本釣りする人もいるが僕は他人の恋愛事情に口を挟む程、野暮ではない。 さて、ガラスであれば採光上、非常に都合が良いのは言うまでもないが江戸時代以前(続)
の日本民家は採光量が少なかったのだろうか? いやいや、そんな事はない。 日本独特の障子によって最高の採光量だったのだ。 開ければ日光がそのまま入るし閉めてもあまり暗くはならない。 木造家屋だったし開口部の大きな障子によって通風も良かった。 丈夫で廉価な和紙により実現可能な建築(続)
方式として障子は日本に定着した。 だが幾ら採光や通風に優れていたとしても風雨や防犯に劣っては何もならない。 そこで着目すべきなのは雨戸だ。 先般の台風では雨戸の使い方が判らなかった為に被災した外国人滞在者がいたとニュースで知った。 可哀想な事である。 ガラスがなく障子に頼って(続)
いた日本の民家にとって雨戸は不可欠の存在だったのだ。 破損してもパーツ毎に交換できる構造も素晴らしい。 確かに木造建築は石造建築に比べ火災に弱いが廉価かつ短期間に建築できるので木材資源に豊富な日本に好適なのである。 こうした構造なのでガラスの量産が遅れたのか、ガラスが量産(続)
できないから障子が発達したのか鶏と卵の関係だから何とも言えぬが雨戸の存在により障子がガラスに匹敵する採光建材となった事は御理解頂けよう、 さて建材としてのガラスはイスラム諸国のサラセン帝国で発達しヨーロッパでは12世紀に建設されたアウグスブルク大聖堂が現今、最古と言われて(続)
いる。 だがヘッセンのロルシュ修道院などに破片が残されており9世紀にはステンドグラスは実用化されていたらしい。 だが恐ろしく高価であり滅多にお目にかかれる物品ではなかった。 つまり採光がどうのと言う建材ではなく美術品としての存在だったのである。 贅沢品であるが建材として使用され(続)
だしたのは16世紀頃らしい。 とは言え大貴族や富裕な商人の客間、応接間などのごく一部に使用されるのみであった。 日本でも元禄期の大名伊達綱宗(1640~1711)が輸入したガラス400枚を窓に使用したとされている。 だたし鎖国下の日本でどうやって調達したのか疑問点が多い(続)
日本のガラス国産化は佐賀や薩摩などの蘭癖大名による小規模な実験的生産を経た後、明治6年(1873年)には民間企業の興業社(品川)が設立された。 だが上手くいかず1876年には国営化されて品川硝子製造所となった。 それでも上手くいかず1888年には施設が民間に払い下げられ廃止(続)
されている。 障子と雨戸があるのだからガラスなど国産化出来なくても良いのである。 でもそれじゃ文明開化ではないのである。 つまり明治維新政府の威信がガラス国産化にはかかっているのだ。 そしてこの難題に立ち向かったのが三菱財閥であり1909年(明治42年)より板ガラスの国産を開始(続)
したのである。 さて障子は弱いがガラスも弱い。 雨戸に相当する外壁が必要だ。 ガラス窓が普及する以前の欧米の窓は木窓である。 障子は壁その物と言って良い程、大きいが欧米の木窓は遥かに小さい。 小さいから高価なガラスで窓を作ろうと考えつくのである。 さてガラスを防護する為、外に木窓(続)
を付けるがこれを鎧戸(Window shutter)という。 ガラスが弱い頃は必需品だった。 だがガラスの強度が増すにつれ、そしてガラスが低廉化するにつれ、そうでも無くなってきた。 ハリケーンや台風の被害を受けない気候の穏やか地域では! そして寒冷地で窓の面積が小さい地域では! 日本家屋の(続)
場合、障子と雨戸から発達したから床からナゲシまでの全高1.8mに及ぶ巨大なガラス戸(もはや窓ではない)が全然、珍しくないのである。 昔、西洋人は日本家屋を「木と紙の家だ」と嘲笑したが現在では「モルタルとガラスの家」なのだ。 そして... 大規模災害で飛散したガラスは凶器の海(続)
となる。 さて、色々な考え方がある。 広い窓であったとしても窓ガラスと雨戸があれば結構。 雨戸がなければ台風で危険。 場合によってはガラス戸なしで雨戸だけという選択肢もあり。 「開口部なんかいらない」として壁のままにするのもアリ。 「小さな窓だけでいいよ」というのもエアコンや照明(続)
が充実化した現代では珍しくない。 日本家屋の構造って素晴らしいと思うよ。 40年近く前、岩手県で味噌屋を営む友人の家を尋ねたのだが築400年の木造家屋だった。 400年間、様々な風雨や大災害に耐えてきたんだよ。 大したもんだ...と思ったんだが友人は「寒いし不便で住みにくい」(続)
と言って新築しちゃった。 まあ、便所や風呂が別棟じゃなくなったので遥かに便利にはなったが... 400年前の家に住むって事は400年前の暮らしをしなくちゃならないって事なのである。 さて、採光や通風など窓の役割で日本と欧米は別の道を歩み照明やエアコンなどテクノロジーの発達(続)
で「似たような住居」で暮らせる様になった。 後はどの様な生活様式を求めるかと「大規模災害や火災に対する抗甚性」が問われる事になってゆくのであろう。 つうか問われなくちゃダメだよ。 見た目や利便性だけで決めちゃ後で困るよ。 実家を建てた時もっと窓を減らしときゃ良かったと今思ってる(笑)
昔の日本家屋は同じ大きさの畳と障子、ふすま、雨戸で出来ていて柱なども見事にパーツ交換出来る。 これは19世紀以前の世界では非常に珍しいのだ。 日本家屋のこうした画一性が日本人の文化的土壌となっている点はもっと着目されても良いのではなかろうか? ...とふと思った。
そもそも日本じゃ「俺は大柄だから三割増しの畳作ってくれ」とか「四畳半じゃちょっと手狭だな。五畳にしてくれ。」って話をあまり聞かない。 そこが凄いところなのだ。 僕の母方祖父が家を新築した時、母の弟の叔父は「外人の友達が多いからナゲシまでの高さを10cm高くしてくれ」と大工さん(続)
に言った。 「そうしてくれなきゃ家を出てゆく」とまで言った。 そうしたら... 工費が五割り増し以上になったよ。 規格を変えるというのはかくも大変な事なのだ。 例え高さを変えるだけにしても。
それでは畳について少々、話をさせて頂くとしよう。 まず話は寝具から始まる 寝具は重要な住環境の一部である。 なぜなら人が住居を必要とする理由は寝場所を確保する為だからだ。 木造であれ石造であれ土造であれ平屋の簡易構造住居では土間となる。 土間だと温帯以北は冬期に居住できない。 (続)
よって寝具が使われる様になった。 寝具とは何かを問われた時、日本なら布団と枕、欧米ならベッドとマットレスに布団(もしくは毛布)及び枕と皆が答えるであろう。 日本にベッドが無いのは他地域に比べいち早く床が建築構造に取り入れられたからでその理由は高温多湿で降水量が多く天然森林資源(続)
に恵まれていたからだ。 日本語で寝具を寝床と称するのはこれに由来する。 欧州や中国でベッドが多用されたのは「寝る場所」だけを地面から離したに過ぎず日本の住宅構造は「屋内の大部分がベッド」に近いと言える。 ベッドのある暮らしを文化的生活と憧れる欧米崇拝者をたまにお見受けするが(続
ベッドなぞ「寝る場所だけ床」の名残に過ぎない。 枕はさておき、布団は洋の東西を問わず基本となる寝具でその充填物には真綿、木綿綿(もめんわた)、羽毛、羊毛、藁などがある。(続)
これらのうち藁は重要であった。 藁と言っても稲藁、麦藁と色々あるが有史以来、日本では過半数の人間が明治中盤(農村地域では昭和中盤)まで藁布団を使用していた。 藁置場で直に就寝する場合などを別にすると、もっとも粗末な寝具は叺(かます)の中に藁を充填した物でちょっとましであれば布(続)
で包まれていた。 床が無い場合、これらを土間に置き寝るのである。 本来なら農村部でも昭和初期には木綿綿の布団に移行できたのだが太平洋戦争の惨禍による物資欠乏で昭和中盤まで藁布団が残った。 ただし布団だけが日本の寝具ではない。 藁を充填物としイグサを貼ったのが畳だがこれはそもそも(続)
寝具であり普段は積んでおき就寝時にだけ敷くので「畳む」と言う動作から「タタミ」となったらしい。 すなわち畳は欧州のマットレスに相当するのである。 床構造で全室畳敷の日本家屋は欧州の観点から見ると「家全体がベッドで出来ている不思議な建築物」となる。 土間に叺を置いて寝た貧者から(続)
畳の部屋で真綿を充填した絹の布団を敷いて寝た長者まで寝具の差は大きかったが藁が果たした役割は大きい。 なお、日本の主要穀物は稲で多量の藁を産出したがその利用法は頗る広かった。 屋根などの建材、家畜飼料、肥料はもとより防水着としての蓑(みの)、履物としての草鞋(ぞうり)、稲縄、(続)
編んで面状にした筵、それを袋状にした叺、米や炭などの運搬用包装材としての俵(たわら)など多岐に渡っている。 これら稲藁を原料とした物品生産は農家に於ける農閑期の大切な副業であった。 かくも稲は日本にとって欠くべからざる重要な農業資源なのである。 (続)
欧州に於いても藁(麦)は寝具、建材、家畜飼料として広く使われている。 L・ライト著「ベッドの文化史」78頁によると中世の英国修道院で使用されたベッドのマットレスは藁(麦)を充填しており年に1度、藁は交換された。 なお、藁をマットレスに使用するのは修道院が貧しかったからではなく(続)
92頁ではヘンリー7世(在位1485~1509年)のマットレスにも藁が使用されていたと記されている。 ただしヘンリー7世のマットレスの藁は毎日交換されマットレスの上にはたくさんのシーツやら羽根布団、毛布、ベッドカバーが並べられたらしい。 19世紀に欧州でスプリングマットレスが(続)




































