
Kenn Ejima
@kenn
今のAIのような「transformative(変革的)」な技術は10年に一度ぐらいしか出てこない。1990年代のパーソナルコンピュータ、2000年代のインターネット、2010年代のモバイル、2020年代のAI。新技術がカンブリア爆発を引き起こし、様々なスタートアップが出ては消えの生存競争が行われるが、それぞれのパラダイムを代表する勝者は割と早い段階で頭角を現している。 その論理からいっても、今見えているOpenAI、Anthropic、Google、xAIあたりの「OS」に相当するプレイヤーの顔ぶれは、大きな失敗がない限りあまり変わらないだろう。基盤モデル開発の「実績」が安いコストで資金を調達する力に直結し、その資金でさらに良いモデルが作れるという正のフィードバックサイクルが全開で回っており、いわゆる「ネットワーク外部性」が貨幣資本という信用空間で生じている。パワーがさらなるパワーを生むという状況であり、スケーリング則が崩れるなど大きな条件変化がない限り、ここに今から参入するのが愚の骨頂であることは誰の目にも明らかだろう。 また、OpenAIが定義したAPIを他のプレイヤーが模倣したり互換性を提供したりといった状況はすでに起きている。開発者のマインドシェアをとったプレイヤーが業界のリーダー、ひいてはプラットフォーマーになる。API標準を握ること、これはAmazonがS3でファイルストレージのデファクトスタンダードをとった戦術に等しい。OpenAIはこの点について明確に自覚的で、アプリ開発者のマインドシェア獲得には基盤モデル開発でリードするのと同等以上の価値があることをよく理解しており、死角がない。 個人的にOpenAIの研究者や開発者たちと交流があるが、彼らのほとんどがそれぞれに専門分野を持ちつつ研究・開発・経済的社会的インパクトについて自由闊達に議論できるT型人材で、いわゆる硬派な研究者肌の人たちが辞めて他社に移ったことは理解できる。もう基礎研究だけやっていれば良いフェーズは終わり、競争のステージが上がったことを認識しなければいけない。AnthropicやGoogleは研究力・基盤モデル開発力という観点ではOpenAIに遜色ないが、たとえば野心的なスタートアップのファウンダーがどういったプラットフォームを求めるか?といった部分に対する共感力、デベロッパーのマインドシェアを取りに行く部分が弱い。ChatGPTやSoraのようなコンシューマープロダクトを擁するOpenAIに対し、ほぼ全ての収益をAPIから上げているAnthropicでさえデベロッパーの心を捉えきれていないというのは、あまり良い競争環境ではないと言えるかもしれない。MCPで変化の兆しはあるが、Anthropicにはもっとスピードを上げて頑張ってほしい。 ではオープンソースはどうか。 極めて機密性の高い情報は「表向き」クラウド上の基盤モデルに依存することが許されない「ことになっている」。ここがオープンソースのニッチだと考えられている。ところが消費者心理はbullshit(戯言)を許さない。欲望に正直であり、すごく便利なものであればどのように制限をかけても回避されてしまう。スマホが登場したらBYOD(Bring Your Own Device)ムーブメントが発生して個人利用のスマホを仕事で持ち込んで使うことも一般的になった。これと同じように、機密性の高い仕事をしていてもこっそりChatGPTを使っている従業員というのは表からは見えないがたくさんいるだろう。 UNIX登場から大手の競争が続き、POSIXによるAPIの標準化を経て30年後にオープンソースのLinuxが勝利したように、オープンソースは最終的な勝者となる可能性は高いが、それは早くても10-20年後の未来であり、今はまだ事業化すべきタイミングではない。結局いつの時代も中央集権的なものが勝利するのは、ハブ&スポークモデルが複雑性を減らし効率的だからだ。効率の向上と文明の進歩は同義である。P2P的な分散モデルが機能するのは、中央集権による効率性が頭打ちになり、別の問題を解決したくなった時だ。(ブロックチェーンのような技術がメインストリームになるのは貨幣経済が停滞したとき、というヒントでもある) 日本のように競争で勝てなかった国はどうすればよいのか?と時々きかれる。自分の答えは、資本効率的に下方スパイラルであることが100%確定している基盤モデル開発への投資などは一切行わない。何なら放っておいてもオープンソースの世界で長期的な革新は起きるし、そちらにいる人材のほうが筋が良い。それよりも日本には独自のコンテンツとデータがあるので、そこで課金・課税する。データは囲い込んで使わなければ腐るだけなので眠らせてはいけない。どんどん使わせてうまく課金する。研究しか向いてないと思う人は今すぐ日本を諦めて大手プレイヤーのどこかの研究所に潜り込んだほうがいい。研究というのは元来「貴族の遊び」だったように、余裕のある人たちのもの。カネのあるところに自然発生するものであり、歯を食いしばって生活苦を抱えながらやるようなものではない。 起業家は、応用分野に集中するべきだ。アプリでもツールでもロボットでも何でも良いが、基盤モデルだけは自分で作ってはいけない。ニュートンが「巨人の肩の上」に乗っていたように、いまの生成AIのような上げ潮のフェーズでは「あるものは使い、ないものだけを作る」のが正解だ。アプリのような「軽薄そう」なものだけをやっていると、なんだか物足りないと感じるかもしれない。もっとでっかい野心を持ち、文明の進歩に直接寄与するような大きなものを作りたい、という気持ちはわかる。しかし、そのような肥大化したエゴが国家政策や起業家の道を誤らせる。Facebookを見よ。ハーバード大学でイケてる男女に点数をつけるような超下品なアプリから始まってSNSの市場を支配した結果、いまではチューリング賞のヤン・ルカンがリードするAI研究所を抱え、メタバースの世界もリードする立派な技術企業体となった。どんな軽薄そうなアプリでも、インターネットのような巨大なプラットフォーム上で無限に増殖するキラーアプリを作ることができれば、文明を前進させるような大きな野心は後からかなえることができる。大志を抱くなればこそ、いまはとにかく派手な大言壮語ムーブではなく本当の勝ち筋を見極めないといけない。 こういう長期的な戦局観を持てるかどうかを、戦略という。
P2P vs Hub & Spoke