Profile picture of 山崎良祐 / Ryosuke Yamazaki

山崎良祐 / Ryosuke Yamazaki

@nappa

Published: February 25, 2025
1
23
32

(文学フリマの話1) 最初はひとりの出店者として、文学フリマに出店していましたが2013年の初夏、第一回文学フリマ大阪が終わったころから文学フリマの運営に関わるようになりました。 もう10年以上文学フリマを運営の立場で見てきたことになります。この間に自分がスタッフとしてやってきたことを挙げると… ・文学フリマのフォーマット化・マニュアル化 ・学習システム整備(出店申込・決済・Webカタログ・メール配信・etc…) ・データドリブンの改善サイクルの確立(NSATによる定量化) ・ルールの整備 ・FAQの整備などのユーザビリティ改善 ・Webサイトの立て直し ・台風などの災害時対応プロセスの整備 ・開催当日の緊急問い合わせ対応プロセスの整備 ・2018年後半からの来場者数増加策(ハッシュタグ施策とか) ・当日開催時の備品類の整理整頓システム(形跡管理)の整備 こんな感じで文学フリマの裏側でいろいろやってきました。 ※全部自分1人でやったというわけじゃなくて多くの方の手をお借りしながらやってきました。この場にて御礼申し上げます。

(文学フリマの話2) 2013年に文学フリマ事務局にボランティアスタッフとして参加したときに真っ先に気づいたのは、手作業の多さ、暗黙知の多さ、繰り返し発生する似たような問題の数々、そしてスタッフの人数の少なさでした。これはシステム屋さんならよく見る後継でしょう、要するに長年プロセス改善をせずにやってきた現場あるあるな風景です。 やることといえば要するにビジネスプロセスリエンジニアリング(BPR)です。 ヒアリングして業務フローを明確にし、作業回数の統計をとり、「なぜなぜ分析」を繰り返して問題の原因と特定して、作業の改善と定型化、そして自動化……というフツーの業務改善を最初は延々とやってました。

(文学フリマの話3) 「文学フリマがどうあるべきか」「文学フリマが何のために存在するのか」という話をやるどころの状態ではなかったというのが2013年時点の事実です。 たとえば、当時多発していた問い合わせのなかで最も多かったのは「払い込んだ出店料は無事受け付けられていますか」というものでした。 すでにクレジットカード決済が当たり前のように普及していたのですが、文学フリマの出店料の受付は長らく郵便局の「通常払込み」だけでした。 これは紙の払込票に手で記入してATMか窓口で払うやつです。払込をした時点から事務局にその情報が届くまで2〜3日かかるため、即時決済に慣れた人からすると「なんで入金確認にそんなに時間がかかるの?」というふうに思われても仕方ありません。 より早く入金確認ができるよう、申込番号にチェックデジットを導入して入金確認時のプロセスを簡易化しつつ、通常の銀行振込への対応を整備しつつ、クレジットカード決済への対応を整備しつつ、不安軽減のため案内のメールに「入金確認まで⚪︎営業日かかります」と所要日数を明示しつつ、という工夫を重ね、ほとんどそのような問い合わせは発生しなくなりました。 「ブース番号の発表はいつですか」「入場証の発送はいつですか」という問い合わせも多く発生していましたが、これも案内不足が原因だったので「開催⚪︎日前までにやります」というふうに明記するようにしました。 こんな具合で、形而下すぎる問題があまりにも多かったのが当時の文学フリマです。もろもろ解決する作業で2013年・2014年が終わりました。

(文学フリマの話4) 出店者入場証などの定型的な印刷物のデータ作成は InDesign と ExtendScript を使って自動化しました。これはJavaScript(ES3)でInDesignなどのAdobe製品を自動化できるやつです。大量の印刷物に対応できるようになりました。 入場証と宛名を1枚のシートにまとめて印刷して窓付き封筒に入れて発送するプロセスがこれで完成し、封筒に入場証を詰める作業が半分くらいに減りました。 が、出店者入場証の郵便事故(不着や遅れ)が多数発生しており……その原因を調べていくと大部分が住所入力ミスと判明したので住所のチェックプロセスを整備したり、郵便用のバーコードを付加したりして、不着率を0.1%以下まで減らしました。 こんな具合に、文学フリマの運営内部では2013年から2014 年にかけて工学的・定量的なアプローチをたくさん適用してました。

(文学フリマの話5) 思いつきレベルでの改善ではなく、定量化してボトルネックやクリティカルパスを特定する・原因を特定して根本から問題をなくす・なくせない場合は定型化や自動化で解決する、そして開催当日の業務よりも前日までのバックオフィス業務を中心に改善する、というアプローチを積み重ねて迎えた2014年の春、新たなフェーズが始まりました。「第二回文学フリマ大阪」の開催準備です。 そもそも文学フリマ大阪は、大阪で開催を名乗り出た有志によって運営するという原則でした。そのため【大阪初開催の年(2013年)はバックオフィス業務はすべて東京で行う・当日は東京から大量派遣して開催】・【2年目からはバックオフィス業務も含めて地元有志主体によって開催】というプランになっていました。大阪は大阪、東京は東京で独立した運営主体となる「のれん分け」の形とする、というわけです。 私がスタッフとして参加したときにはここまでがすでに決まっており、これから2年目の開催に向けて準備が始まる、というタイミングでした。 しかしバックオフィス業務の暗黙知を考慮しないまま全部を引き継ぐというのは無謀な試みで、多数のトラブルが発生しました。何をやっていいのかわからないままで、春になっても出店受付の開始自体が始められない状態になってしまっていました。 そこで地元主体の開催という建前を破り、立場を超えて、自分から積極的に業務の支援に乗り出し、なんとか当日開催の日を迎えることができました。 しかし「このままの『のれん分け』では文学フリマを多くの地域で開催することなど到底不可能だ」「多くの地域で開催するには文学フリマそのものを変えていかねばならない」という認識を得るに至りました。 のちに「文学フリマ百都市構想」と名付けられる取り組みの始まりです。

(文学フリマの話6) 「文学フリマ百都市構想」の元になるアイデアは自分が考えたもので、それは【文学フリマの開催の「仕組み」を共有し、文学フリマを自分の街で開催したいという有志に提供する】というものでした。(「文学フリマ百都市構想」という名前とテキストは代表の望月さんの手によるものです。) 複数地域での開催を視野に具体的に動き始めた2014年からの出来事を書くとしましょう。 まず最初に手をつけたのは「東京で開催される文学フリマに『文学フリマ東京』という名前をつけること」でした。 いまでは東京で開催される文学フリマを「文学フリマ東京」と呼ぶのは自然なことですが、2014年春までは東京での開催回を単に「第▲▲回文学フリマ」と呼んでいました。 「東京以外の」ローカルな企業やイベント名にはたいてい道府県名や地域名・都市名がついてますが、「東京の」ローカルな企業やイベント名には「東京」と名乗らなくても済まされるという事象があります。 新聞社・商業施設・劇団・イベントなど多岐にわたってこの事象は観測されます。わたくしは子供のころ日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日などあたかも東京ローカルでない風の名前を冠している放送局がなぜ許されるのか疑問でなりませんでした(キー局だからそういうものだと言われればそうなんですが)。 それはともかく、イベントは名前付けの段階で地方は地方であることを自覚させられ主張させられ、東京は日本の中心であることを無意識に自覚できるし主張できるという構図があると私は捉えていました。 だから文学フリマも「東京だけが東京と名乗らずに済む特権を持っている」ようにしてはいけないと思いましたし、「文学フリマ」のいう言葉の指すものを「東京」という土地から切り離さないといけない、東京の文学フリマをただの一つのローカルイベントの地位に格下げしなければならないと考えていました。だから「文学フリマ東京」に改名することを主張し、実際に2014年秋からそうなりました。そっちのほうがわかりやすいですからね。 この名前は10年経った現在、完全に定着してうれしく思います。 (余談ですが、文学フリマ東京が文学フリマの中心という意識は私は持っていませんし、そうあるべきとも思っていません。ただ単に人口や交通機関の関係で規模が大きいローカルイベントです。)

(文学フリマの話7) 文学フリマには(2014年時点で)12年分の歴史があり、不必要に複雑になってしまったところがいくつもありましたので、全国各地での開催に向けて整理整頓しました。 そのひとつの例を挙げて説明します。 2014年当時の文学フリマでは「サークル参加」「サークル」という言葉を使っていましたが、このタイミングから「出店」「出店者」という言葉に改めました。 「サークル参加」という言葉は、コミックマーケットと、その影響を受けているイベント全般(いわゆる同人誌即売会)全般で使われている言葉です。同人誌即売会に馴染みのある人にとっては違和感のない言葉でしょう。 2002年の文学フリマはコミックマーケットを参考にして、同じようなことが文学でもできないかという試みとして始まった経緯があります。しかし価値観や用語や理念までもをコミックマーケットを規範としたわけではありません。 ですから当初の文学フリマでは現在と同様に「出店」が使われていました。 が、文学フリマが徐々に認知度を高めるにつれて時と共に少しずつ同人誌即売会に合わせ交雑しつつ言葉が入れ替わっていった模様です。当時はスタッフではなかったので私には定かではないのですが、そうした方が混乱が少ないという判断もあったのでしょう。 しかし文学フリマの開催地域を増やすとなると前提が変わります。「文学フリマも同人誌即売会も知られていない土地で、文学フリマとは何かを知ってもらい、出店してもらい、会場に足を運んでもらわなければならない」ということになるわけです。 そんなときに「サークル参加」という言葉を使うと苦労が付きまといます。同人誌即売会に馴染みのある人はすでに慣れきっていると思うので何の苦労もないと思うのですが、まったく知らない人と実際に話すとなると、こんな会話になるのです… 「サークル参加っていうのは本を作って売る側としてイベントに参加するということです」 「サークルということは団体しか参加できないのですか」 「いいえ1人だけのサークルでも参加できます、それは個人サークルといいます」 「なんでサークルって言うんですか?」 「文学フリマではなくコミックマーケットというイベントがありまして、そちらの方ではサークル参加というのです」 「じゃ、なんでサークル参加って言うんですか」 ……伝えたいことを伝えるために不必要な抵抗があるというのは実に困ることです。電気工学の言葉で例えて言うというところの「インピーダンスミスマッチ」です。 実際に「サークル参加ということは1人で出店することはできないのですか」という問い合わせが寄せられることもありました。 このタイミングで文学フリマのことだけをコンパクトに伝えられるよう体系だった言葉選びをすることを考え、「サークル参加」から「出店(サークル参加)」へと表記を変更し、さらに数年ののちに「出店」へと完全に置換しました。

(文学フリマの話8) 言葉選びの流れで、「地方開催」や「地方の文学フリマ」という呼び方をするのをやめました。先に書いた通り文学フリマでは文学フリマ東京もまた「東京のローカルのイベントのひとつ」だからです。先に書いた通り、このへんの施策については私の思いが強く入っているところです。 余談ですが、東京以外の文学フリマを「地方文フリ」と雑にまとめて語ると本質を見失いがちで、間違った結論や単なる認知バイアスに陥りがちです。アポフェリア(無関係のデータから意味のある法則を見出していまうこと)やパレイドリア(普段から慣れたパターンを無関係な事象の中に見出していまうこと)にならないように注意が必要です。

(文学フリマの話9) 文学フリマでは「地元在住の有志が名乗りをあげること」から開催地域の立ち上げがスタートするという形をとりました。 「開催してほしい地域をリクエストしてもらって、投票数の多い都市から開催する」という方式でビジネスライクにやるという方法もあるのですが、それでうまくできるイメージはまったく持てませんでした。 人的リソースの問題もあるのですが、地元の外の人に運営してもらうようでは「自分たちの街の文学フリマ」「自分たちのための文学フリマ」として最寄りの文学フリマをとらえてもらうのは難しいと考えたからでもあります。 文学フリマ百都市構想として開催希望の募集を始めると、私や事務局スタッフの想定を上回る数の立候補の声が上がりました。重複を含めると今まで20都市くらいの応募があったと思います。 しかし、これまでの実際に開催が行われたのはそのごくごく一部にすぎません。そもそも開催以前の問題が多い候補者が多かったのです。 文学フリマが何なのかすらよくわかっていない方からの申し出ならまだしも、そもそも文学フリマの実物を一回も見たことがない方からの立候補すらありました。そういった方はそのうち連絡がとれなくなるものが常でした。 開催に向けてやりとりをして、ノウハウがぎっしり詰まったテキストを共有した後で連絡が一切取れなくなってしまった方もいました。私は中の仕組み作りを主にやっていたので立候補者とのやりとりは別のスタッフが担当していており、その担当スタッフの心理的ダメージは計り知れないものがあります。

(文学フリマの話10) 2017年くらいまでは 「町おこしのために文学フリマをしたい」という申し出もありました。文学フリマをやりたいと言ってくださるのはありがたいと思いはしたのですが、文学フリマを開催することがいったいなぜ町おこしにつながるのか、個人的にはどう考えてもわからないまま現在に至ります。「町おこし」の類の提案にはどこか無理があるのでしょうか、開催までには至ったことはこれまで一回もありません。 そんななかでも残ったごくわずかの立候補地から2015年〜2019年まで毎年のように開催地が増えていきました。 それと比例するかのように内部はカオスとなりました。 詳細を語るべきではないので簡潔にまとめます。半分は人間関係のトラブルです。人格に問題のある方が文学フリマの運営に参画するようになり問題を起こしたり、端的に言って「ただの趣味の問題」にすぎないことで内部で論争になったりして、それを止める方法がなかったりしたのです。 これは要するに組織内部のガバナンスと選考プロセスが確立していなかったことが原因です。別の言い方をすると、文学フリマを開催したいという言葉を吐く人の善意を信じすぎて痛い目をみた、というふうに私は捉えています。 今では選考プロセスや内部ルールの整備が整って安定しています。このあたりの整備にあたっては多くのオープンソースコミュニティの過去の事例や知見もお借りしました。お礼申し上げます。

(文学フリマの話11) もう半分は「地域の独自性」をめぐる問題です。 新規開催希望地の有志のなかには「地域の独自性を運営が主体となって打ち出さなければならない」という考えを持つ方が多くいました。 そもそも文学フリマの共通部分を多くしてオペレーションを単純化することで開催をしやすくする、という概念がうまく伝わらず、「地域の独自性」のためにシステムに手を入れてほしいという依頼が相次ぎました。これは本当に参りました。 「そんなことをしたらシステムの意味ないじゃないですか」という説明を代表の望月さんからしてもらうことが何度もありました。しかし、それはこちら側の説明不足が原因で、まだまだ問題としては軽い方です。 本当の問題はもっと哲学的あるいは精神的な問題にあります。 「地域の独自性」を打ち出すために独自企画を文学フリマ内で開催しようとして運営団体自体のキャパシティを超えてしまったり、独自性を打ち出すためのアクションによってスタッフ間での争いが発生したりしたのです。それも一つや二つではありません。 「地域な独自性」のために文学フリマそのものの開催準備が進まなくなっては本末転倒ですが、とにかくそんな出来事が相次いで起きたのです。 「まずは『地域の独自性』はいったん横においておいて、最初はふつうに型通りのオペレーションで文学フリマを開催されてはいかがですか、このままでは本当に開催ができなくなっていまいます」という私からの提案もうまく通じませんでした。「地域の独自性」を重んじる立場からすれば「地域の独自性のない文学フリマなどやる価値がない」となるわけで、話が噛み合うはずがないのです。 結局のところ問題の解決のため、「独自性」のところだけを好きにやってもらって、それ以外の準備作業の大部分を自分ともう1人のスタッフで代行することになりました。当たり前ですがすごく大変でした。 なぜそこまで「地域の独自性」が大事なのかというのは当時わからなかったのですが、今はいくつかの側面から理解できるようになりました。 まずはメディアや評論の問題です。あちこちの「地方」の「独自性」を取り上げる側となる方 (それはマスメディアやそれはマスメディアかもしれませんし、権威ある方や在野の評論家の方かもしれません)が取り上げるのは、必然性があろうがなかろうが、無理にでもくっつけたような「演出された独自性」、もっとストレートに言うと「変わったこと」をやってるイベントばかりです。そんな方から発信された情報は、自分たちの街でイベントをこれからやろうという人に届きます。すると結果として「演出された独自性」を持つイベントばかりの情報に接することになってしまい、「普通に開催していて地元の人たちが満足している」という重要な情報は入ってこないのです。 この構図によって「地域の独自性を打ち出さねばならない、そうでなければならない」というかたくなな考えが生まれ、「普通に開催するということを無価値である」と思わしめるまでの強迫観念のような問題に至ります。その思いが現実となり、また一つの「演出された独自性」のあるイベントが生まれ、そしてそのイベントが取り上げられ……という負のループになっています。 このループが断ち切られるよう、地域のありのまま、そのものの姿の価値をうまく言葉にして、評価が与えられるようであってほしいものです。それが私が個人のインディペンデントなメディアに期待する役割の一つです。なかなか難しいこととは思うのですが、変わった特徴のあるイベントばかりを取り上げることよりも100倍以上の価値があることだと思います。

(文学フリマの話12) 「地域の独自性」を作りたくなってしまう原因は他にもあります。それは「地域を盛り上げるコミュニティ」の影響です。名称や形態はさまざまですが、その筋のコミュニティは各地に存在しています。そこでは「他地域と同じことをやるのは負け」「東京から持ってくるだけではダメ」みたいなムードがあるところもあるようで、そんなコミュニティに属している方からすると「地域の独自性」のないイベントをやってしまったらコミュニティのなかで顔が立たなくなってしまうんだそうです。となると、もう文学フリマのやり方とコミュニティからの圧力との間で板挟みになっちゃうのは必然です。強力なドグマを持つコミュニティとの接点をどうするのか、というのはなかなか難しい問題です。

(文学フリマの話13) 正直に言って、多くの地域で文学フリマを開催するということにこんな障壁の数々が待ち受けているとは想像もできませんでしたし、それらに対応するための準備がまったく足りていませんでした。そのことを受け止めすべてを苦い教訓として捉えて、どうしてこんなことになるのだろうということをゆっくり考えました。 長くなるので思考過程の説明は略しますが、原因は要するに【文学フリマでの「地域性」というものがいったいどうあるべきなのか】をそもそも誰も構築できていなかったし、説明もできていなかったことにありました。 そこで打ち立てたのが「文学フリマにおける『地域性』とは、出店者の作品や来場者の購買行動、参加者間のコミュニケーションを通じて自然に現れるものである」すなわち「文学フリマの『地域性』とは『にじみ出るもの』である」というテーゼです。 これは主催者が恣意的に地域ごとの独自性を誇張したり演出したりすることを戒めるための言葉ではだけでなく、「地域差を減らし標準的な開催に徹することで繊細な地域差を感じ取れるようにする」という新たな価値をも提示するものです。 この考え方はマクドナルドに例えて、 「日本中どこのマクドナルドに行っても同じメニュー・ほぼ同じ店舗内装で、ほぼ同じ体験が得られるが、そこに居る客や店員の振る舞いには地域性がにじみ出ている、それが地域性なんだ」と説明することがあり、略して「マクドナルド理論」とも呼んでいます。 この考え方の提示によって認識の溝が埋められるようになり、現在はどの地域の文学フリマでも自然と同じオペレーションで運営できるようになりました。それでも地域の差が感じられるのは、運営スタッフも出店者も来場者もすべてその地域在住の人がメインとなり、出品作もまた各地域の方の手によるものがメインとなるからです。 各地の文学フリマに参加されている方には、この繊細な差をうまく言葉にして表現してくださるとうれしく思います。

(文学フリマの話14) もろもろの教訓をもとに文学フリマの内部向けに、運営上のルールや考え方をまとめた「ガバナンスブック」と、文学フリマの運営手順をまとまた「オペレーションブック」という2つのドキュメントが整ったのは2018年のことです。気がつけば文学フリマ百都市構想の発表から3年近くが経っていました。 統計によればこの年の前年の2017年に日本国内でのスマートフォンの普及率がPCの普及率を上回りました。2018年3月にはGoogle検索がスマートフォンでの表示に適したサイトか否かを評価基準に入れる施策(モバイルファーストインデックス)を始めました。時代はスマートフォンの時代へと移り変わっていたのです。 が、実は文学フリマの公式サイトではスマートフォンでの表示に適したデザインになっていませんでした。それどころでは全然なかったのです。 そこで2018年の春に文学フリマの公式Webサイトのリニューアルをしました。発案したのは私、作業を実際したのは私ともうひとりのスタッフの2名です。 移行のために過去コンテンツすべてをWordpress用のデータにコンバートするツールを書いたり、文学フリマ用にWordpressの拡張機能を作ったりしました。このとき高校生のころ以来ひさしぶりにPHPのコードを書きました。 そして鉄の意志で過去ぶんのコンテンツをすべて消さずに移行して第一回からの文学フリマの情報すべてを残すことにしたので、約300ページのコンテンツをすべて目視でチェックし修正する作業もやりました。OGPやJSON-LD、キーワード最適化など(本職の方からすれば拙く見えると思いますが)検索エンジン最適化もしました。 これをゴールデンウィークに突貫工事で完了させ、無事にスマートフォンでも見やすいサイトに生まれ変わらせました。 この2018年が文学フリマにとっての大きな変わり目の年になりました。

(文学フリマの話15) 文学フリマの運営上もっとも深刻な状態下にあったのは個人的には2017年〜2019年の3年間だったと思います。 この間は【出店者数が増加しているのに一般来場者数が減少し続けている】という状況が続いていました。 文学フリマというイベントを成り立たせるためには「送り手」と「受け手」の両方が必要であることは言うまでもありません。しかしその片方である「受け手」が原因不明のまま減少していくという状況にあり、私の計算上ではこのまま放置すると数年後には一般来場者よりも出店者のほうが多くなってしまうという予想値が出ました。このことに、強い危機感を持っていました。 当時の文学フリマは「お客さんが少なくて快適」などと言われていました。今も「来場者数が少なかったころの文学フリマの方が心地よくてちょうどよかった」などと言う方もいらっしゃいますが、それは文学の流通システムとして生まれた文学フリマの価値観とは真逆の方向です。大勢のお客さんが来て作品の流通量が増えてこその「流通システム」なのですから。 それに、安定して継続開催を続けるためには少しずつでも来場者数を伸ばし続けなければ精神的にやっていけません。少しずつでも来場者数が伸び続けていれば楽観的にいられるものですが、停滞したり減少したりすると悲観的なムードになるもので、悲観的になると人は無理をしたり極端な行動をしたりするものです。

(文学フリマの話16) このあと文学フリマの集客理論である「内向き・外向き理論」と「うすしお理論」、そしてコミックマーケットの重力圏からの脱出についての説明に入ります。 とても説明が長くなるので少し投稿の間が空きます。

(文学フリマの話17) 2015年秋から2020年初めごろまで私はWeb広告業界のなかでエンジニアとして働いていて、そこで得た知見を文学フリマで使ってみたりしていました。少し時間をさかのぼって、そのころの話をします。 2016年秋に日本Javaユーザグループさん主催のカンファレンス “JJUG CCC 2016 Fall” にてスピーカー(登壇者)として講演を行いました。これはITエンジニア向けのイベントで、自分も含めて約30人(うろ覚え)の方が登壇して技術的なトークをするというものです。このときに参加者からの満足度がNSATという手法で数値化されて後日送付されてきました。 NSAT(Net Satisfaction)とはマイクロソフトがユーザの満足度を「とても満足」「少し満足」「どちらでもない」「少し不満」「とても不満」の5段階評価からスコアリングする方法です。詳しくはこちらを読んでください (英語です): https://download.microsoft.com... このとき初めてNSATについて知り、もしかしたら文学フリマでも利用できるかもしれないと思い、2017年ごろから文学フリマのアンケートに取り入れていました。 2016年ごろから2019年まではGoogleから見れば「顧客側」の立場でGoogleの中の人と交流をする機会かあり、Google六本木オフィスに何回も行ったりGoogleのニューヨークの広告部門のヘッドクォーターに行ったりしていました。そのたびに「私たちに気づかない問題点があると思うので遠慮なくおっしゃってください」と英語でいろんな方から会うたびに言われました。ご存じの方も多いかと思いますがGoogleはネット広告業界最大手であり、ものすごく影響力のある会社なのです。それなのに中の方が(国籍・人種問わず)非常に腰が低いことに驚いたものです。その印象が強く頭のなかに起こり、2018年の文学フリマ公式Webサイトリニューアルの際に「フィードバック」の受付窓口をWeb上に開設し、課題や問題点を集めやすくする仕組みを作りました。

(文学フリマの話18) 本題から少し外れて、NSATの便利な側面をひとつ紹介します。 先に説明した通り、NSATを算出するためにはアンケートに5段階での満足度評価に○をつけてもらうことになります。「とても満足」「少し満足」「どちらでもない」「少し不満」「とても不満」から1つを選択して○をつけてもらう、というやつです。これがアンケートを分析する主催者側のメンタル負荷の削減に役立つのです。 たまにアンケートの自由記入欄や余白に運営側のメンタルを削ってくるような強い言葉で苦情や批判が書かれていることがありますが、そんなメンタル削ってくる系の意見を書く方でも満足度評価のほうでは「とても満足」や「少し満足」に○がつけてくれていることが多いのです。「文章だけを読むとすごい剣幕のお怒りっぷりに見えるけど、全体としては『とても満足』なのですね……」というふうに、メンタルを削られることなく意見を読みとることができます。個人的にはこの効果のおかげでアンケートを読むときの心理的な負担がだいぶ減りました。 次に本題に戻します。

(文学フリマの話19) 文学フリマ東京は2012年から2018年まで1開催あたり総来場者数(出店者数と来場者数の和)が3700人前後でずっと増えないままの状況が続いていました。一方で出店者数がどんどん増え続けていましたので、来場者(純粋にお客さんとして来た方)の人数が減少していたことになります。これを打開するために「来場者数を増加傾向にしつつ、総来場者数を2020年5月の開催回で5000人まで増やす」という目標を2018年4月に立てました。 そして目標達成のために何をすれば良いのかを考えはじめたとき、運が良かったことが2つあります。 ひとつは、NSATのスコアが1年分蓄積して分析に耐えるだけのデータが集まったこと。 もうひとつは、内部の体制が落ち着いて、各地域のオペレーションへの変更反映ができるようになり、改善施策をサイクリックに適用できるようになったことです。新施策の投入は冬から春で1回(1月京都で新施策をテスト投入→5月東京で本格投入)・夏から秋の1回 (9月大阪でテスト投入→11月東京で本格投入)という風に、年2回実施するサイクルが成り立つようになりました。

(文学フリマの話20) どうやったら来場者を増やせるだろう、ということを2018年のゴールデンウィーク明けから考えはじめ、毎日延々といろんなデータを眺めていました。そんなある日にNSATスコアのデータを眺めていて、ふと気づいたことがありました。 それは「満足度が高すぎる」ということです。 「とても満足」「少し満足」の割合が合計で90%を超えていて、それ以外を選択した方は10%以下、そして「少し不満」「とても不満」を選択した方はほぼゼロになっていたのです。そして、驚くべきことにNSATスコアは全国すべての文学フリマでほぼ同じ値でした。地域差がまったくないということは、すべての都市の文学フリマで共通している要素によって満足度が生み出されているということになります。その要素とは「出店者さんが自らの手で本を売る」ことです。 このデータから「会場にまでお客さんを連れてくることさえできれば、文学フリマの出店者さんの作品に触れてもらえさえできれば、必ずそのお客さんを満足させることができる」という仮説を立てました。この仮説に立脚すると問題の根本は「文学フリマそのものが知られていない」のか、あるいは「文学フリマが知られていても会場まで足を運んでもらえていない」かの、どちらかであると絞り込むことができます。 この仮説はあくまで仮説にすぎません。もしかしたら私が気づいていない別の要素が影響している可能性がありますし、データの読み取りには恣意的な要素が入り込む余地が大いにあります。が、この仮説の蓋然性は高いように思われました。

(文学フリマの話21) 開催前の段階での広報施策の問題である、ということが明らかになりました。 「文学フリマそのものが知られていない」のか「文学フリマが知られていても会場まで足を運んでもらえていない」のかのどちらのほうが比重として大きいのかを判断するために自分の身のまわりの人に質問をしてみました。職場の人(ネット広告関係、20代から30代まで男女さまざま)、いきつけの床屋や飲食店の店員さん(20代から30代まで男女さまざま)などに質問をして、15人くらいでやめました。誰一人として文学フリマのことを知らなかったのです。身近な範囲での調査だけで、統計がどうこうするまでもなく、文学フリマは「世の中でほとんど知る人がいないイベント」であるということを証明できました。質問する前からこうなるだろうということは半分くらいは予想していましたが、いざ実際に直面してみると心理的にしんどいものがありました。 正気をとりもどして認知度獲得に向けて動き始めました。 その方法にはいろいろありますが、まずは手軽にはじめられるネット広告を使い始めました。デザインができる事務局スタッフにお願いして広告素材を作ってもらい、facebookやinstagramなどで広告配信を始めてみました。ターゲットの絞り込みをいろいろ変えたり、拡張コンバージョンを使ってみたり、広告素材やランディングページのABテストなどいろいろ試しましたが、現実の集客効果はというと1人のお客さんを連れてくるのに安くとも2万円くらいかかってしまう計算となり、これではまったくお話になりません。1000人増やそうとしたら2000万円かかってしまうわけで、しかもこれはまったく最低限の理想的な数字としての計算であって現実はもっともっとかかる可能性があるわけで、さすがに割にあいません。ネット広告作戦はあえなく打ち切りました。

(文学フリマの話22) 認知度獲得のための方法はネット広告以外にもいろいろあります。 たとえばチラシを配布する、店舗にポスターを貼ってもらう、といった草の根の作戦です。 文学フリマのなかでは地域事務局ごとの意思で草の根的なチラシ配布・ポスター配布を展開していたところもありましたが、それをやっていない地域に比べて集客に効果が出ていたわけではありませんでした。配布枚数は何千枚(詳しい数字は失念しました)の配布実績があるにもかかわらずの結果でしたので、チラシの効果見込みは薄かろうと思われました。 概算をしてみましょう。仮に文学フリマ東京の来場者数を仮に1000人増やしたいとして、チラシ配布100枚につき1人の来場者増につながるとするならば10万枚の配布が必要になり、それを1000枚につき1人とするならば100万枚ものチラシを配布しないといけなくなるわけで、それはもはや草の根というレベルではなく新聞の折り込み広告とかの規模なのでとうてい予算の規模に見合いません。のちに効果が実際に測定され「数千枚を配布して1人くるかこないか」というレベルであることが明らかになり試算よりも一層悪い結果となってしまいました。 ※ここで「少しずつでもお客さんを集める意思と努力が必要だ」とか「活動の実績を残すためにチラシ配布というものは必須なのだ」とか「チラシを配布していることが出店者の安心につながるのだ」などの考えを持つ方もいらっしゃるし、そう言われたこともありましたが、2018年の時点で私が解決しようとしていた課題への解決策ではありません。 マスメディアに取り上げてもらうという方法もありますが、これまでテレビ・ラジオ・新聞・雑誌・Web記事等々で取り上げていただいたものの来場者数の増加に大きくつながったことはありませんでした。

(文学フリマの話23) 2018年の夏には「これはもう根本的に考え方から変えないといけない」と思っていました。認知度向上のためのアクションはすでに数々の試行結果があり、どれも期待する効果には見合わないことがすでに証明されていて、もはや打つ手はないかのように思われ、でもなんとかしないといけない……という危機感のなかで過ごしていました。 界隈では「お客さんが少ないイベントであることが文学フリマの良いところだ」などという声も聞かれるようになったり、少ない来場者をなんとかして自分のブースに人を呼び込もうとする取り組みとしてスタンプラリーや合同誌が増えたりと、このころには「人の少ないイベント」として認知が広まっていました。 とある出店者さんが文学フリマを「クソイベント」と呼び改善案を書いた本を別のイベントで販売されていまして、イベント当日にその本の存在を知ってあわててタクシーで会場に乗り付けて購入してすぐに読みました。いまでも大事に保管しています。※感想はここには書かないでおきます。

(文学フリマの話24) とあるときに誰かから「どうやって文学フリマを知ったんですか?」というようなことを聞かれました。が、いつどんなときだったかまったく思い出せません。本当に記憶がないので、もし覚えている人がいたら教えてください。 そのときに、自分が文学フリマを知るきっかけになった出来事を初めて誰かに話しました。 それを簡単にまとめると、こういう話になります。 1. 山崎はデイリーポータルZを毎日愛読していた 2. あるときデイリーポータルZの記事で、山崎はミニコミ誌「野宿野郎」の存在を知った 3. 職場がたまたま神保町にあり、三省堂書店神保町本店の地方・小出版コーナーで「野宿野郎」をすぐ購入した 4. 「野宿野郎」公式Twitterアカウントをフォローした 5. 「野宿野郎」公式Twitterアカウントで過去の「野宿野郎」公式ブログの記事をランダムにシェアされており、そのなかに「野宿野郎編集部」が文学フリマに出店するという告知ブログが紹介された 6. へえ、文学フリマってのがあるんだ、となった 要するに偶然の連鎖です。 だからこれはきっと特殊なケースだろう、ほとんどの人は別のルートで文学フリマを知るに至るに違いない、と思い込んでいました。

(文学フリマの話25) 文学フリマをまったく知らなかったころの自分を思い出すに至り「当時の視点で今の文学フリマを眺めたらどうなるだろう」というシミュレーションを脳内で試みました。 脳内に召喚した昔の自分は、こう言いました。 「まずそもそも文学フリマを知る機会がない」 「仮に知ったとしても公式サイトを見て『このイベント行ってみたい』とは思わない」 「おもしろそうかもとは思うけど、たぶん行かない」 「書店に行けばいくらでも読むべき本があり、読みたい本が多すぎて時間が足りないくらいなのに、これ以上本を入手するチャネルを増やす気にはならない」 文学フリマを知らない当時の同僚・友人ら複数名に文学フリマについて聞いてみたところ、脳内昔自分と同じリアクションでした。 そもそも、とにかく「文学フリマ」の説明だけでは魅力が伝わらない、そもそも「文学フリマ」というイベントそのものに対して興味を持ってもらうことだけでも非常に難しい、単に「文学フリマ」を知るだけでは会場に行こうという気持ちを起こすに至らない……ということに思い至ったのです。 ここで「もしかしたら運営が主体となって文学フリマの認知度を向上させようとする施策自体が根本的に無理筋ではないのか?」と考え始めました。一部の出店者さんから直接的かつ熱烈にそれを期待されていましたが、どうも筋の悪いルートなのではないか、と。

(文学フリマの話26) ここで新しい仮説が浮かびました。 「お客さんは【出店者さんとその作品を楽しみにして文学フリマに足を運ぶ】のであって、【文学フリマというイベントそれ自体を目的としているわけではない】」ととする説です。 実際に一般来場者さんに会場内でランダムに声を掛けて「どのようにして文学フリマを知りましたか」という質問をするアプローチ(ゲリラリサーチ)によって検証を行ったところ、質問をした約10人中全員が「Twitterでフォローしている人が出店しているから」「Twitterで流れてきた作品告知で興味を持ったから」「友人・知人が出店しているから」という答えで、まさに仮説通りの回答が得られました。 「お客さんは【出店者さんとその作品を楽しみにして文学フリマに足を運ぶ】のであって、【文学フリマというイベントそれ自体を目的としているわけではない】」。 この仮説は文学フリマの集客を根本的に変える大きなブレイクスルーとなりました。まずは2018年9月の文学フリマ大阪から、出店者さんに向けた開催直前の案内メールのなかに「ぜひ告知にご協力をお願いします」という文を追加しました。

(文学フリマの話27) さらに「文学フリマをまったく知らない人」の視点を取り入れて改善を進めました。 当時は事務局からの発信情報も、出店者さんからの情報も、どちらも「文学フリマをまったく知らない人」に向けたものになっていませんでした。 実際に見ていただくと分かるのですが、当時の事務局からの発信情報は本当にめちゃくちゃでした。出店者さんに向けたもの (出店時に便利なものリスト、忘れ物をしないようにするチェックリスト、天気予報)や、注意事項や、スタッフ募集、観光地案内、比較的どうでもいい豆知識、独り言などを投稿していました。ぶっちゃけあまり戦略的に運営ができていなかったのです。 文学フリマを初めて知ったばかりの方にとっては情報量が多すぎます。ライトに参加しようという機運を削いでしまったり、印象に残ってほしい情報を上書きしてしまったりするタイムラインでした。 2018年夏のタイミングから「文学フリマをまったく知らない人」に向けたメッセージ発信を事務局が率先して行うように変えていきました。

(文学フリマの話28) 開催告知のタイミングからしても改善すべき点が多くありました。 忘れがちですが、ふつうは週末の予定は直前に決まるものです。 何ヶ月も前から予定を決められるとしたら旅行・ライフイベント(冠婚葬祭や子供の行事など)・ライブやフェス、それからディズニーランドやUSJくらいです。文学フリマはその枠には入っていない可能性が高いと思われました。 ですから「そろそろ週末の予定を決めようか」というタイミングで目に入るタイミングでの告知投下が最も重要で効果的と考えました。たとえば日曜開催であれば木曜・金曜・土曜が効果的だろう、と。 その3日間に告知を集中投下するように事務局公式のTwitterアカウントの運用を変更しました。

(文学フリマの話29) 来場者数の拡大を狙う集客理論を体系化して、「内向き・外向き理論」と名前をつけました。 「文学フリマを知らない層に対してメッセージの内容・量・タイミングを最適化する」 = 「内向き」よりも「外向き」のメッセージ発信を意識する、というのがポイントです。 これを適用して Twitter のみならず、出店案内の文面も、サイトの文面も、一個一個見直して全部「外向き」に変えました。 さらに細かい例ですがマイクアナウンスでも、「みなさんおなじみの…」とか「毎回恒例の…」などのフレーズを無くしましたし、開場前の一言みたいなものも大幅に長さを減らしました。これらもろもろ一連の「外向き」への変革が、文学フリマというイベントの空気を少しずつ変えていきました。

(文学フリマの話30) 「外向き」にしていくのに合わせて、詳細なデータを集められるように整備を行いました。 2018年9月の文学フリマ大阪から、出店者数・来場者数のカウント方式を「100人単位」から「1人単位」に変更しました。これはもともと代表の望月さんの発想で「Jリーグのように1人1人のサポーターが『あの試合のときに自分も参加していたのだ』と思えるようにしたい」という思いで導入されたものです。が、これによってデータが正確にとれるようになり一気に改善が進むことになりました。 文学フリマで最も重要視しているKPIは「1出店者あたりの平均来場者数」=「VpE」(=average Visitor per Exhibitor)です。文学フリマの「イベントとしての価値」を表現しうる数字はいろいろあるのですが、もっともわかりやすく改善につながりやすいのがこの VpE です。理屈は秘密なので省きます (がどうやら同人誌即売会の多くも同じ数字をモニタリングしているようですね)。 後で事例を紹介しますが「内向き・外向き理論」はひとつひとつの小さな VpE 改善の積み重ねの理論です。「施策Aで VpE が0.5ポイント改善したから他地域にも展開する、施策BでVpEが0.3ポイント下がった可能性があるので他地域への展開はやめておく」などという運用をしていかなければならりません。なのでVpEの正確な算出は「内向き・外向き理論」には必須なのです。 データを見ずに運営すると、なんとなく来場者数が減っていても「たぶん誤差だから大丈夫」とか「きっと天気のせいだから今回だけ」とか「来場者が減った分1人あたりの熱気は高まったと思う」といったごまかしで運営上の問題点を見のがしてしまうことにつながります。それはとても危険なことです。もちろんデータばかりに集中すると「マクナマラの誤謬」(詳しくは検索してみてください)に至るので危険なのですけども。

(文学フリマの話31) さらに1日1回の最終時点での集計だけでなく、時間単位の来場者数集計もあつめるようにしました。これは後で説明しますが、開催時間内の前半から後半へ来場を分散してもらうための施策のために必要と想定されるデータです。 また、アンケート項目の「在住地」の欄を都道府県単位から市区町村単位に細分化しました。これも後にも説明しますが、地震・台風(とそれによる計画運休)などの災害時に開催可否を決定するために必要と想定されるデータです。 開催中に出店者さんから緊急通報ができるシステムを整備しましたが、これは開催中の問い合わせがデータとして蓄積されにくいという問題を解決する目的もあります。 そんな具合で、実は文学フリマはめちゃくちゃデータを集めて分析しながら運営しているイベントです。

Share this thread

Read on Twitter

View original thread

Navigate thread

1/31