Published: April 30, 2025
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還暦過ぎてしみじみ実感しているのやけど、いわゆる社交的で会話が弾んでいる「ように」見える人というのは「内容ではなくて形式」なんだよね。ワシ、最近までそういう内容の無い形式のみの会話の意義が分からなくて見下し傾向だった。でも、その内容の無い会話ってのは「あんたとはケンカしない」→
という「毛繕い」なんだよね。もしかしたら会話のメソッドを物語や小説、テレビドラマや映画で学んで、現実場面でのコミュニケーションを「本物ではない」と誤学習してしまったせいなのかも知れない。つくづくASなんだな、と。
思えば特に馴染めなかったのは、方言で交わされる会話。今さらだけど、内容より形式でイントネーションやノンバーバルな視線や姿勢、身振り手振りで「関係を維持する」がほとんどで、伝えなければならない情報は「暗黙の了解」であることに苦しんでいた。
方言に限らず伝えるべき内容のほとんどが「暗黙の了解」で済まされる場面は今でも苦手である。ただ、理解できたのは「暗黙の了解」というのは毛繕いの集積でしかない、ということ。で、社交的に見えるのはほとんどの場合、本心や本当のことを話せない疎外された状況なんだな、と。
でも、世の中のデフォルトなのはその疎外された状況なのであって、いきなり核心を突く質問をしたり、あからさまに本心を語ることではない、ということである。この辺りでしでかすAS は多いと思う。
仕事を離れ、やっと気が付いたのは中身がなくても形式さえ繕えばコンフリクトは回避できるし、世の中の多くの人は正鵠を期すのではなく、コンフリクトを回避するためにほとんどの会話を構築しているんだな、と。AS として気持ち悪くても慣れた方が身のためなんだろね。
