Published: May 25, 2025
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AIの最終形って何だろう、とよく考える。 かつて人類は鳥のように空を飛びたいと夢想した。でも最後に手に入れたのは、鳥とは似ても似つかないアルミニウムの翼にエンジンを積んだ飛行機だった。 鳥のように羽ばたけないけど、鳥よりもはるかに巨大な機械だ。 空を飛ぶというWhatに対して「鳥のように」飛ぶはずだというHowの先入観が邪魔をして、「より多くのヒト・モノをより速く、遠くまで運搬」するという強いニーズのあるWhyを達成するためなら手段=Howは問わない、ということへの想像力に制限をかけてしまっていた。 AIの世界でも同じようなことが起きていると感じる。 AIがソフトウェアエンジニアを置き換えるとして、それは人間のエルゴノミクスに合わせて作られたPythonやJavaScriptのような言語を、人間のように使いこなすという延長線上に拓かれる未来なのだろうか。 話は変わるが、タンザニアでセレンゲティ国立公園に行った時、ハゲワシの群れが巨大なヌーの死骸を喰らう大宴会を繰り広げているのを目撃したことがある。マサイ族のガイドは「ハゲワシは一度の食事で1-2kgもの肉を食うんだ」となぜか誇らしそうに教えてくれた。「そのぐらいエネルギーを蓄えないと、あの10kgもある巨大な体で空を飛ぶことはできないんだ」と。 それを聞いたとき、燃費の悪いAIエージェントが電力とGPUをぶん回しながら力づくでコードを生成している様子が頭に浮かんだ。 Devin, Claude Code, Codex, Julesなどの自律動作するSWEエージェントが運次第で一定の仕事を完遂させられるようになってきているが、その成功率は低く、連想するのは「鳥人間コンテスト」だ。 人力でどこまで飛べるか競う鳥人間コンテストでは、出場者の半数以上が100m未満でドボンする。人力プロペラ機でも1kmにも届かないのがほとんどだ。そんな中でもトップランカーは30kmを超えて琵琶湖を横断できるようになっていて、そこに醍醐味がある。そのような職人技を競うスポーツとしての面白さは理解しつつも、ほとんどの参加者が失敗に終わるような方法では文明を進歩させることはできないとも感じている。 2022年12月にLLM無職になって以降フルタイムで生成AIに100%の時間を注ぎ込んできて、ロング・ホライズン・タスク(目的の遂行に長時間かかるタスク)をAIエージェントが自律的にこなして高い成功率を達成するには、何かが決定的に欠けているように感じている。翼をバタバタさせるやり方でも大量のGPUを投入すれば暴力的に解決できる、という考え方にどうしても引っかかるものがある。欠けたパズルの最後の1ピースがあるように感じられるのだ。 それが飛行機の世界では「滑空」というシンプルなアイデアでありアプローチだった。15世紀にダビンチが翼を羽ばたかせて飛行する機械(オーニソプター)を考案したあと、滑空する固定翼のグライダーが登場したのが300年後、ライト兄弟がそれにエンジンを積むまでには400年もの年月がかかった。500年以上経ち、技術がはるかに進歩した今でも羽ばたく飛行機は(ごく小型軽量なものしか)実現していない。 AIにとって「羽ばたき」に対する「滑空」の概念とは何だろうか。 人間が使うことを前提として作られたプログラミング言語を使うというHowへのこだわりが、AIにとって大きな制約になっていないだろうか。 それとも最後のピースは言語自体ではなく別のなにかなのだろうか。 そんなことを、この週末も考えている。

Image in tweet by Kenn Ejima
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